夜7時。事務所の電気がまだついています。誰が残っているかは、なんとなく分かります。ただ、その人が何のために残っているかまでは、社長も正確には知りません。
気づくのは翌月の給与計算のときです。集計表を見て「この人、先月45時間も残っている」と初めて分かります。本人に聞いても「まあ、これくらいは普通ですよ」と言われて、そこで話が終わってしまう。
頼んだ覚えはない。でも止めた覚えもない。この状態がいちばん危ない、というのがこの記事の話です。残業を減らす前に、残業を「通す」。何をどう通せばいいのかを決めていきます。
▶ 出勤・退勤の記録から始める場合:勤怠管理をLINEでやる前に|その手書きの出勤簿、後から使える記録になっていますか
なぜ、気づいたときには終わっているのか
打刻を仕組み化した会社でも、残業だけは最後まで残ります。理由ははっきりしています。
打刻で残るのは「何時までいたか」だけです。その時間が必要だったのかどうかは、どこにも記録されていません。19時まで残った記録はある。でも、社長が頼んだのか、本人の判断だったのか、そもそも何の作業だったのかは、翌月には誰も思い出せません。
会社の判断が1回も入っていない
もう少し構造で見ます。残業が発生するとき、そこには本来3つの場面があります。
- ①残る必要が出る(作業が終わらない、急な依頼が入る)
- ②残ると決める
- ③実際に残る
小さな会社では、②が抜けます。誰も決めないまま、①から③へ直行します。会社の判断が1回も入らないまま時間が過ぎ、翌月に集計表として現れる。これは管理していないのではなく、管理する場所がそもそも作られていないという状態です。
「頼んでいない」がいちばん弱い言い分になる
この状態で起きるのが、後になっての食い違いです。会社は「頼んでいない」と言い、本人は「やらないと終わらなかった」と言う。どちらも本心でしょう。
ただ、この言い分は会社にとって強くありません。理由は後半で書きますが、先に結論だけ言っておきます。頼んでいなくても、知りながら止めていなければ、労働時間として扱われることがあります。「頼んでいない」は、防御になりません。
「残業するな」と言うだけでは減らない理由
最初に出てくる対策は、たいてい号令です。朝礼で「今月は残業を減らしてください」と伝える。一時的には減ります。ただ、翌月には戻ります。
大きな会社は別の手を打ちます。パソコンを強制的にシャットダウンする、ノー残業デーを設ける、申請ワークフローを電子化する。仕組みとしては正しいものです。ただ、5〜30人の会社では次のどこかで止まります。
- 強制終了させても、現場作業や接客はパソコンで動いていない
- ノー残業デーを作ると、その分が前後の日に寄るだけになる
- 承認ワークフローを入れても、承認できる人が社長ひとりしかいない
「削る」から「通す」に変える
順番を変えます。削るのは後回しでいい。まず、残業が全部いったん会社を通るようにすることを先にやります。
通れば見えます。見えれば、どこが多いのかが分かります。分かって初めて、人を動かすのか、締切をずらすのか、外注するのかという話ができます。号令だけで減らそうとすると、この材料がないまま気合いの話になります。
| 弱者の原則 | 残業での意味 | 具体的な打ち手 |
|---|---|---|
| 局地戦 | 全員を対象にしない | 残業が集中している1人か1部署から始める |
| 一点集中 | 項目を絞る | 「残るかどうか」だけを通す。理由の分類や工数管理は後まわし |
| 接近戦 | 1対1で止められる | 大手にはできない「今日はやめておこう」の一言を、その日のうちに返す |
| 差別化 | 速さで勝つ | 申請から承認まで数分。稟議で数日かかる会社には真似できない |
対象は、残業が多い人から選びます。全員に一斉導入すると、月に1〜2時間しか残業しない人の分まで申請が飛んできて、承認する側が先に疲れます。
LINEで「申請・承認・実績」の3点をそろえる
作るのは3点セットです。どれか1つでも欠けると、記録としては弱くなります。
- ①申請:残る前に、本人から一言送ってもらう
- ②承認:会社から一言返す
- ③実績:実際の退勤時刻が残る(前回までの打刻がここで効いてきます)
事前申請が無理な仕事は「開始時の一言」でよい
「事前申請」と聞くと、多くの現場で無理だと感じます。急な対応が入る仕事、外に出ている仕事では、あらかじめ申請する余裕がありません。
そこで止まる必要はありません。残り始めるときに一言送る。これで十分に機能します。大事なのは事前かどうかではなく、その時間が始まる前後に、会社が一度知っているという点だからです。
送る内容を3語に固定する
自由文で送られると、承認する側が読む時間を取られます。3つに固定します。
- 残業(この一語で申請の合図)
- 見込み時間(例:1時間)
- 理由(例:見積り、棚卸し、クレーム対応)
「残業/1時間/見積り」。これだけです。理由は分類しなくて構いません。単語1つで十分です。
承認の返事は2択にする
ここが実は肝心です。「了解」だけで返すと、承認したのか、単に読んだだけなのかが後から区別できません。返事も固定します。
- 「承認します」
- 「今日はやめて、明日にしてください」
この2つだけです。2択にしておくと、後者を選ぶことに心理的な負担が減ります。選択肢が「承認」しかない運用は、実質的に承認の意味を持ちません。
どこまでが公式アカウント単体でできるか
| やりたいこと | LINE公式アカウント単体 | 外部ツールを併用 |
|---|---|---|
| 「残業申請」のボタンを画面下に置く | できる(リッチメニュー) | できる |
| 申請を受けて1対1で返信する | できる(1:1トーク) | できる |
| 申請・承認・実績を1行に並べて残す | 難しい | できる |
| 今月の累計時間を本人と会社に表示する | 難しい | できる |
申請と承認のやりとりだけなら、公式アカウントの1対1トークで始められます。ただしトーク画面に流れたままでは記録になりません。3点を1行にまとめて台帳へ落とす部分は、手作業でも構わないので必ず作ってください。
見落とすとトラブルになるポイント
ここからが本題です。残業は、勤怠の中でもっとも金額と法令に直結します。
その前に、36協定はありますか
順番として、いちばん先に確認することがあります。労働基準法36条に基づく労使協定、いわゆる36協定です。この協定を結んで届け出ていなければ、そもそも法定労働時間を超えて働かせることはできません。
締結している会社でも、確認してほしい点が2つあります。有効期間が切れていないか。そして、届け出た延長時間の上限を、自社が実際に何時間で出しているか。ここを見ないまま申請制だけ作っても、判断の基準がない状態になります。
上限は法律で決まっている
2019年4月(中小企業は2020年4月)から、時間外労働に罰則付きの上限が設けられています。
| 区分 | 上限 |
|---|---|
| 原則 | 月45時間・年360時間 |
| 特別条項がある場合でも | 年720時間以内 |
| 同上 | 単月100時間未満(休日労働を含む) |
| 同上 | 2〜6か月のいずれの平均も80時間以内(休日労働を含む) |
| 同上 | 月45時間を超えられるのは年6か月まで |
違反した場合の罰則も定められています(6か月以下の懲役または30万円以下の罰金)。
ここで注目したいのは、罰則そのものより「平均」と「回数」が入っていることです。2〜6か月平均、年6か月まで。これは、月末に集計しているだけでは間に合わない構造です。月の途中で累計が見えていないと、超えたことに気づくのが翌月になります。申請制を作る本当の理由は、ここにあります。
では、月の途中で見えた累計をどう扱うか。時間外・休日労働が月80時間を超えた人には、その時間を本人に通知することが会社の義務とされています。管理監督者も対象に含まれる点を含めて、通知の設計は残業80時間超の通知について整理した記事で扱っています。この記事が入口(申請)なら、そちらは途中経過(通知)にあたります。
◆ 「申請がないから残業ではない」は通りません
厚生労働省のガイドライン(労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン/平成29年1月20日策定)は、労働時間を「使用者の指揮命令下に置かれている時間」とし、使用者の明示または黙示の指示により業務に従事する時間は労働時間に当たるとしています。
ポイントは「黙示」です。はっきり命じていなくても、その人が残って仕事をしていることを知りながら、止めもせず、そのままにしていた。この状況は、黙って指示していたのと同じように評価されることがあります。
ですから「申請がなかったので払いません」という整理は、実務上とても弱いです。むしろ逆で、申請制を作るのは支払わない理由をつくるためではなく、支払う対象をその日のうちに確定させるためだと考えてください。
申請制が「申請させない制度」になっていないか
ここは、まじめな会社ほど踏みやすい落とし穴です。
同じガイドラインは、自己申告制について、使用者は労働者が自己申告できる時間外労働の時間数に上限を設け、その上限を超える申告を認めないなど、労働時間の適正な申告を阻害する措置を講じてはならないとしています。
「今月は20時間までしか申請を認めない」という運用は、これに触れるおそれがあります。実際に働いた時間が20時間を超えていれば、申告できないだけで、時間そのものは発生しているからです。上限を管理したいなら、申告を止めるのではなく、仕事の量か人の配置を動かすしかありません。
あわせて、ガイドラインは、申告された労働時間を超えて事業場内にいる時間について理由を報告させる場合、その報告が適正に行われているかを確認することも求めています。申請1時間、実際の退勤は2時間後。このずれを放置しないことが、そのまま求められている対応になります。
残業した日は、休憩も足りなくなる
もう一つ、残業とセットで確認したい点があります。労働基準法34条により、労働時間が8時間を超える場合の休憩は1時間です。所定8時間・休憩45分で運用している会社は、残業した瞬間に必要な休憩が60分に変わります。
残業の管理を始めると、この問題が必ず表に出てきます。詳しくは休憩時間の記録の記事に書きました。
◆ 記録として使えるかは、3点がそろっているかで決まる
申請・承認・実績のうち、どれが欠けると何が起きるかを整理します。
- 申請だけある:予定は分かるが、実際に何時間だったかが分からない。給与計算の根拠にならない。
- 実績だけある(打刻のみの状態):時間は分かるが、会社が把握していたかが分からない。いまの多くの会社がここ。
- 申請と実績はあるが承認がない:会社が知っていた証拠が残らない。「知らなかった」も「認めた」も証明できない。
- 3つそろっている:誰が、いつ、何のために、どれだけ残り、会社が何と答えたかが1行で追える。
そのうえで確認したいのが、承認した人が誰かが残っているかです。社長ひとりで回している間は気になりませんが、承認者が複数になった時点で必要になります。あわせて、事後承認になった日の扱い(誰が、いつ、どう確認したか)も先に決めておいてください。
なお、時間外労働に対する割増賃金は労働基準法37条に定めがあり、月60時間を超える部分の割増率50%以上については、中小企業への猶予措置が廃止され2023年4月1日から適用されています。月60時間という水準は、上限規制の月45時間を超えた先の話です。累計が見えていない状態は、金額の面でも危うくなります。
ある時間が労働時間に当たるかどうかは、働き方の実態によって判断が分かれます。持ち帰り作業、移動時間、待機時間などは、個別の判断が必要になる部分です。
最小構成で始める5ステップ
36協定の有無と、届け出ている時間を確認する
控えを出して、有効期間と延長時間の上限を見ます。ここが自社の基準線になります。見当たらない場合は、申請制より先にこちらです。
対象を、残業が多い人から数名に絞る
先月の集計を見て、上位の数名か、1部署だけを選びます。全員同時に始めると、承認する側が先に折れます。
送る内容を3語に固定する
「残業/見込み時間/理由」。事前が難しい仕事は、残り始めるときに送ってもらう形で構いません。
返事を2択に固定する
「承認します」「今日はやめて、明日にしてください」。この2つだけ。返す人が社長ひとりにならないよう、代わりに返せる人を先に1人決めておきます。
月の15日に、累計を見る日をつくる
月末では遅すぎます。15日時点で対象者の累計を出し、月45時間に向かってしまうペースの人がいれば、そこで仕事を動かします。カレンダーに毎月の予定として入れてください。
よくある失敗
申請制が「申請しづらい制度」になる
申請するたびに理由を細かく問われる、渋い顔をされる、上限を先に決められる。これが続くと、申請せずに残る人が出ます。記録は減りますが、残業は減っていません。いちばん悪い状態は、実態が変わらないまま記録だけが消えることです。
承認できる人が社長ひとり
社長が現場に出た日、来客中の日、申請が宙に浮きます。宙に浮いた申請が数回続くと、その人は次から送らなくなります。承認を代われる人を最初に決めてください。1人で構いません。
申請だけ集めて、実績と突き合わせない
申請1時間・実際は2時間半、という日が積み上がっていく状態です。ずれ自体は起きて当然ですが、放置すると、申請の記録が実態と食い違う書類になります。月に一度、まとめて確認する日を作れば十分です。
まとめ
この記事の結論
- 残業管理でまずやるのは「削ること」ではなく、全部いったん会社を通すこと。通れば見え、見えて初めて減らせます。
- 「頼んでいない」は防御になりません。知りながら止めていない時間は、黙示の指示として労働時間に当たることがあります。
- 上限規制には「2〜6か月平均80時間以内」「月45時間超は年6か月まで」という条件が入っています。月末集計だけでは間に合いません。
- 申請の上限を設けて申告を止めるのは逆効果です。動かすのは申告ではなく、仕事の量と人の配置です。
- 明日やること:36協定の控えを出して、有効期間と届け出ている延長時間を確認する。それだけで構いません。
※ 記事内で触れた法令・ガイドラインの内容は、公表されている条文および厚生労働省の資料に基づいています。ある時間が労働時間に当たるか、自社の36協定でどこまで認められるかは、働き方の実態や協定の内容によって判断が分かれます。個別の判断が必要な場面では、労働基準監督署の窓口などで確認してください。











